特別料理 ー 伊吹亜門、分子料理を食べる ー

2019年11月18日

分子ガストロノミー。

皆さんはご存知ですか?

分子ガストロノミー(ぶんしガストロノミー、英: molecular gastronomy)とは、調理を物理的、化学的に解析した科学的学問分野である。分子美食学と訳されることもある。

Wikipediaからの引用という禁忌を犯してしまいましたが、要は分子レベルから食材を調理し、美味しいだけでなく全ての五感に訴える形で料理を創り上げる調理法を指します。

つまりは人の五感すべてに働きかけ、さらに"人の脳をびっくりさせる"料理という訳です。

伊吹亜門は食にうるさい訳でなく、どちらかというと「質より量」な人間なのですが、"人の脳をびっくりさせる料理"といわれると、"人の脳をびっくりさせる物語"に取り組んでいるミステリ作家として当然気になりますよね。

という訳で、分子料理を食べてきました。

お店は東京、日本橋のホテル"マンダリン オリエンタル東京"の38階にある"タパス モラキュラーバー"。完全予約制で、なおかつ8名限定のカウンター席しかないという、何というか、とにかくもう色々とすごいお店です。

38階から撮った夜景。コナンの映画とかでしか見たことのなかった景色なので、ちょっと感動しました。

もっとも、右京の山奥でひっそり暮らしているしがない兼業作家には、こんな超有名店を予約できる伝手も度胸もありません。ですから今回は、東京在住で、同志社ミス研時代にお世話になったR先輩に予約をしてもらいました。当日も、R先輩と一緒に店を訪ねた次第です。



席に案内されて先ず目に入ったのが、下の写真にある白くて円形の物体と、少量の水が入った三角フラスコでした。まず口のなかをさっぱりさせるためのタブレットか何かかなと思ったのですが、これ、皆さんは何だと思います?

食事は、ガラスケースの向こうにいるシェフから説明を聞きながら進んでいくスタイルでした。

コースが始まってまず云われたのが、「フラスコの水を掛けると、広がって布になります。それ、実はお手拭きなんです」......。既に"びっくりさせる料理"は始まっていました。

普通のレストランならあらかじめテーブル上に並べられているであろうカトラリーも、"タパス モラキュラーバー"ではこんな工具箱に入っています。この巻き尺は何に使うんだと伸ばしてみると……

裏がコースメニューになっていました。この時点で、だいぶ頭のなかは「!」と「?」でいっぱいでしたね。 


サテという訳で、以下、簡単に料理の紹介をしていきます。ペアリングされたお酒のせいで、コースが進むに従って若干記憶が曖昧になっています。そのため認識違いがあるかも知れませんが、悪しからずご容赦下さい。

  • サーモンとイクラとイクラ ―Salmon Roe and Roe―

シャーレの底にカリフラワーのペーストが敷かれ、その上にサーモンのサラダとイクラが載った前菜です。サーモンだけとかカリフラワーのペーストと合わせてとか色々な食べ方が楽しめるのですが、何がアレって、このイクラ、抽出された旨味成分を固めて創った疑似イクラだったんですよね。確かにちょっと固いなとは思ったのですが、指摘されるまで全く分かりませんでした。


  • サグ パニール ―Saag Paneer―

サグ パニールとは、ほうれん草とチーズのカレーのことです。ご覧の通り注射器がありますね。料理を食べに来てお皿の上に注射器があったことってあります? 右側にある茶色い球体は"パーニープーリー"といって、中身が空洞になっているインドの揚げ菓子です。先程の注射器でこのなかに温かいカレーを注入し、一口で戴きます。ぱりぱりとした皮の食感と、どろっとしたカレーの濃い風味が合わさりso good。咀嚼していられるほんのひとときだけしか味わえない、美味しくも儚いお料理でした。


  • ダイナマイトロール ―Dynamite Roll―

揚げた車エビと、あられ揚げされた?アボガドを、炙った海苔でタコスのように挟んで戴くお料理です。見ての通りお寿司の亜種なのですが、使われたお米は酢飯でなく梅昆布茶で炊いた御飯とのことで、揚げ物のこってりした味のなかで、仄かな酸っぱさと香りがとても爽快でした。


  • 吹雪 ―Blizzard―

創作料理っぽい名前!という感じですが、実態はソテーした大振りの帆立に海ぶどうなどを添えたお料理です。この写真からでは分かりにくいかも知れませんが、仕上げにシェフが、液体窒素で冷やしたフレンチドレッシングをかけます。すると、急激な温度変化によってドレッシングから濛々たる煙が立ち上り、お皿の上はまさに八甲田山 死の彷徨。帆立も肉厚で美味しかったです。


  • ベネディクト ―Benedict―

濃密なオランデーズソースに絡めたロブスターのソテーを、サクサクとしたブリオッシュと一緒に戴くお料理です。右手にピンセット、左手にブリオッシュを持ち、ピンセットでロブスターを摘まんで口に運び、一緒にブリオッシュをひと囓りするという少し変わった食べ方なのですが、これがもう本当にめちゃくちゃ美味しかったんですよ。ロブスターのほのかな甘みとソースの酸味が絶妙な塩梅で本当に素晴らしい。さっきから美味しかったとしか云ってませんが、本当に美味しかったです。うん、美味しかった。


  • 茸香る卵 ―The mushroomed Egg―

これもまた随分と変わった料理でした。数種類のきのこと一緒に出汁で煮込んだはと麦の上に、ポーチドエッグを載せ、更にスライスしたトリュフをまぶした一品です。スプーンで卵を崩し、とろとろの黄身をはと麦や出汁と一緒に戴けば、口中にきのこの濃厚な香りが広がってそれはもう大変美味なのですが、

シェフ「卵のお味はいかがですか?」

伊吹「いや、ちょうどいいとろみ具合で、味も濃くって最高です」

シェフ「それはよかった。......でもそれ、実は卵じゃないんですよ」

伊吹「Pardon?」

前菜の"疑似イクラ"と同様に、これも黄身はカボチャのペーストを基に、白身は豆乳をベースに創られた"疑似ポーチドエッグ"だったのです。

頭では「卵じゃなくてカボチャと豆乳だ」と思っていても、舌で感じる味は本当に卵のソレな訳です。認識の齟齬とでもいうのか、何だかここら辺から本当に訳が分からなくなってきて、これでシェフが「いや実はそれも嘘で、本当はただのポーチドエッグなんです」とか云い出したらいよいよ何を信じていいのか分からなくなるなと思いながらも、でもまァ美味しいからいいやと、結局深く考えることは止めた私でした。


  • 魚のムニエル ―Fish Meuniere―

甘鯛のムニエルです。泡が乗っていますね。これがソースです。更には工具箱に入っていたすりこぎで山椒やら魚の尾を素揚げしたものやらを自ら磨り潰してふりかけ、仕上げます。向かって左の方に移っている小さなすり鉢の緑の粉がソレですね。バターソースが意外と淡泊で、山椒のぴりりとした辛みがちょうどいいアクセントになっていました。(説明が短いなと思いましたか? お察しの通り、この辺りから酔いが回り始めたのです。)


  • 北京ダック ―Peking Duck―

北京ダックです。ひと噛みごとに旨味のぎゅっと詰まったお肉だったことしか覚えていないのですが、とにかく北京ダックです。添えられている緑の物は柱状に切られたキュウリで、これがさくさくとしていて意外と美味しかった。あと、鶏の皮だとばかり思ってぱりぱり食べていたお肉の上の板ですが、これも湯葉を揚げて甘辛く味付けしたものでした。


  • 秋の牧場 ―Autumn Ramch―

藁で焼いた仔羊のスープです。周りに散っている紅葉は、にんじんやかぶを切り抜いたもの......だったような気がします。羊肉特融の臭みやくせなんかは全く感じなかったのですが、確かにチキンベースのコンソメスープとは全く異なり、なんだこれはと唸ってしまうような、今まで体験したことのない不思議な味でした。


  • 困った和牛 ―The Confused Wagyu―

見ての通り和牛のステーキですが、何が"困った"なのか。シェフ曰く、色々と洋風の下ごしらえや味付けをされて、日本生まれの和牛肉としては"困惑している"のだそうです。ありきたりな感想ですが、まァ肉質の柔らかいこと! 添えてある白いペーストはニンニクと味噌を混ぜたものですが、これをお肉につけるとまったりとした甘味が加わり、舌が溶けそうになります。美味しゅうございました。ええ、そろそろ語彙が尽きかけています。


  • マッシュルーム ―Mushroom―

ここからデザートです。霧の深い森のなかへきのこ狩りに行くイメージで作られた一皿でした。最後にシェフが温かい(か若しくは冷たい)チョコレートを注ぎ入れることで、写真のように温度差から霧のような煙が発生するという仕組みです。この写真からではわかりにくいのですが、グラスの下にはココアパウダーで模した土や、栗の小石、また抹茶パウダーの苔などがあり、そこに本物のトリュフを使ったきのこが鎮座していました。


  • ベリー ベリー チャイ ―Very Berry Chai―

真ん中にあるムースは、チャイを急速に冷やして外側だけ固めた物です(だったと思います)。なのでスプーンで割ると、なかからはまだ温かい液体が溢れ出てきます。同じひとつのお菓子なのに、一部は液体で一部は固体なので、口のなかに入れた時の風味というか感覚は何とも形容しがたい不思議なモノでした。あと、この料理名が面白いですよね。


  • ピニャコラーダ ―Pina Colada―

"ピニャコラーダ"といえば、ラムをベースにパイナップルジュースとココナッツミルクで作るカクテルですが、これはそれを料理として創り上げた一品です。まずはレンゲのなかにあるココナッツミルクのプディングとパイナップルを口のなかに入れ、その後で下の器に入っているラムベースのシロップを含むことで、ピニャコラーダが完成するという寸法です。同じく口のなかで完成させるカクテルといえばニコラシカがありますが、こちらはそれを料理にしちゃってるんですからねえ。


  • アフターエイト ―After 8―

ピントはずれていますが、ガラスケースの上にあるきのこのような物が"アフターエイト"です。"アフターエイト"といえば英国のミントチョコとして有名ですが、このお菓子もミント風味のカカオをベースに作られた一口大のお菓子でした。さっぱりとしていて、しめくくりにふさわしい一品でした。


いかがでしたでしょうか。長々と語ってしまいましたが、やはりこればかりは実際に見て聞いて食べてもらうしかないかもしれません。そうすれば、決して嘘を吐いている訳でも、誇張して云っている訳でもないことが分かってもらえるでしょう。

私は、登場人物に食事を摂らせながら推理させるのが好きなのですが、惜しい哉、幕末・明治期では分子料理は出せません。いつか現代を舞台にした時に使ってみたいものです。