だからペンを持つ

2020年12月22日

 どうしても忘れられない出来事がある。


 何年前だったかは忘れたが、当時の私はまだ学生時代から引き続いて、晴明神社に近い今出川のアパートに住んでいた。

 それは友人の家へ遊びに行って終電を逃し、ふらふらになりながら始発で帰ってきた日曜日のことだった。下宿に戻った私は、シャワーも浴びずにそのまま布団に潜り込み、泥のように眠っていた。

 目が覚めたのは昼過ぎだった。

 顔だけ洗って着替え、昼食を買いに外へ出た私は、その途上でとんでもない光景を目の当たりにした。下宿からほど近い堀川今出川南角の自動販売機が、べこべこに凹んでいたのだ。

 くの字に折れ曲がった機体は「KEEP OUT」の黄色いテープで囲まれ、辺りには赤や黒の硝子片が飛び散っていた。そこに車が突っ込んだのであろうことは、傍目にも明らかだった。

 さすがはネット社会で、携帯で調べてみるとすぐにどういうことか判明した。堀川通から左折しようとした車に後続車が突っ込み、玉突きの要領で道端の自動販売機に突っ込んだのだ。幸い歩道に人はなく、また運転手にも大きな怪我はなさそうということだった。

 普段から私もよく通る道だった。現にその時も、壊れた自販機の前を通ってコンビニに向かったのだ。

 目を覚ますのがもっと早かったら、友人の家を出るのがもっと遅かったら、私が歩いているところに車が突っ込んでいたかも知れない。

 事故の瞬間を見た訳ではないので、恐怖はなかった。ただ、生死を別けるスイッチはそんな簡単なことで切り替わり得るのかという不思議な感覚は、私の胸の裡にぼんやりと残った。


「やれる時にやっておこう」という思いが私の中で強くなったのは、それからだ。

 この世界には、無数の書き手がほぼ毎日のように生まれている。プロ・アマ関係なく作家は書き続け、新しい作品を世に出し続けていないと終いにはその大いなる流れに呑み込まれてしまうことだろう。しかしそれ以前に、書きたくても書けなくなる可能性だってゼロではない。それは、歩いてくるところに車が突っ込んでくるような理不尽な死も含めてだ。

 だから私は、ミステリを書く時に出し惜しみすることが出来ない。

 全力で取り組むのは当然だが、とっておきのトリックやホワイダニットを残しておいて、それを世に出せずに死んでしまうのがたまらなく厭なのだ。だから長篇を一つ終えるたびに頭の中は空っぽになり、またイチから始めなければいけないのだが、こればかりはどうしようもない。必ず明日が来るとは限らないのなら、やはりやれる内にやっておきたいのだ。

 来年2月に、東京創元社から『雨と短銃』という長篇ミステリが出る。本格ミステリ大賞を戴いた『刀と傘―明治京洛推理帖―』の前日譚で、幕末の京都を舞台にした本格ミステリ長篇だ。

 また、2020年の私生活を殆ど捧げて取り組んだ、新しい時代・新しい舞台のミステリ長篇も、先日何とか脱稿することが出来た。

 もう12月の末だ。2020年はコロナに加えてこれら2つの長篇に掛かり切りで碌に遊べなかったので、これで仕事を納めてもさすがに怒られないだろう。それでも妙に気は急いてしまう。厄介なのは、それが次々と湧いてくる物語や謎の種に後押しされた、心地よい焦燥感ということだ。

 さて、次はどんなミステリを書こうかな?