亜門怪談噺3

2020年09月12日

 怖い話がめっぽう好きで、勤め先で飲み会があった時も「何か妙な体験とかしたことないですか?」と聞いて廻っています。

 8月分の更新をすっかり忘れていたので、その埋め合わせに、大学時代の知人から聴いた不思議な話でも一つ。

 よくわからないことというのは、やはりこの世に存在するらしい。

 "それ"が特殊な能力だとM君が気付いたのは、小学校に入ってからだった。

 ある日のこと。友だちの家に遊びに行く途中だったM君は、不意に甘い香りを嗅いだ。

 柔軟剤の匂いだとすぐにわかった。コインランドリーの排気口からよく漂ってくるアレだ。

 だがM君は妙に思った。いま自転車を止めて信号待ちをしているこの商店街の一角には、コインランドリーなんて見当たらないからだ。こちら側にあるのは公園と月極駐車場で、車道を挟んだ向こう側にはマンションしかない。風も吹いていないので流されてきたとも思えないし、何より、そんな遠くから来たとは思えないほど濃い匂いだった。

 不審に思いながらも、信号が変わったので自転車を漕ぎ出したM君は、しばらくしてから、先ほどの駐車場が数ヶ月前まではコインランドリーだったことを思い出した。

「その時はじめて、あ、自分はもしかしたら“過去の匂い”が嗅げるんじゃないかって思ったんですよね。ほんと、冗談みたいな話だとは自分でも思うんですけど」

 M君は恥ずかしそうな顔で私にそう言った。

 M君曰く、それ以前にも同じようなことは何度かあったらしい。コインランドリーの時のようにきちんと紐付けられることは稀だが、明らかにその場面にそぐわない匂いを嗅いだことならば山ほどあったそうだ。そしてそれは、周囲に確認をしても誰も感じていない匂いだった。

 一番よく覚えているのは、海水浴の時の話だそうだ。

 家族で海水浴に行った時、車を降りた途端、吐きそうなほどの甘ったるい臭いがM君を襲った。鼻を抑えながら家族にそう言ったが、誰もそんな臭いはしないと言う。そんなはずはない、だってこんなに臭いんだからと必死に訴えたものの、確かに自分以外は周囲を見渡してもだれもそんな素振りはしていなかった。

「そのことがずっと心に残ってて、中学に入ってから調べてみたんです。そうしたら、昔、その海水浴場の近くにコーンスターチの加工工場があったって分かったんですよ。その時はもう跡形もなかった筈なんですけど」

 半信半疑ではあったが、不思議なものだねと私は言った。

 だが、今はもうその"能力"もないのだと言う。何かきっかけがあったのか尋ねると、M君は厭そうな顔をしながらもこんな話を教えてくれた。

 高校2年生の夏休み、M君は帰省していた卒業生の先輩たちに連れられて、県境の山中にある廃ホテルまで肝試しに行った。カップルが心中を図ったとか、オーナーが経営難で首を吊ったとか、殺人犯がその一室で遺体をバラバラにしたとか、とにかく色々ないわくつきの、地元では有名な心霊スポットだった。

「結局、肝試し自体は何もなかったんですよ。人魂ひとつ見ませんでした。でも、家に帰ってきた途端、自分からすごい臭いがしてるのに気付いて。ガソリンの臭いだったんですよね」

 慌てて服を脱いだが、臭いの元はそこではなかった。異臭は、皮膚や髪から直接していた。

 すぐに風呂に入り、皮膚が剥けるまで身体を洗った。しかし、それでも臭いはとれなかった。

 すっかり怖くなり、家族にも何も言わず、ガソリンの臭いが充満した布団のなかで必死にごめんなさいと謝り続けた。

 いつの間にか朝になっていた。気が付くと、あれほど酷かった臭いはもうしなかった。そしてそれ以降、場にそぐわない臭いを嗅ぐことはなくなったのだという。

「何も分からないままでいるのが一番ですよ」

 M君はそう言って話を締め括った。