亜門怪談噺

2020年04月19日

 新型コロナウイルスの影響で、4月に入ったらお報せ出来ると思っていたイベント告知やら刊行予定やらが全て未定になってしまいました。そのためお茶を濁し......もとい、当初の予定を変更してお送りします。

 怖い話がめっぽう好きで、勤め先で飲み会があった時も「何か妙な体験とかしたことないですか?」と聞いて廻っています。

 そんななかから、つい最近、職場の先輩から聴いた妙な話でも一つ。

 Tさんが、夏休みを利用して大学の友人数名と旅行に行った時の話。

 旅行といっても特に目的があるわけではなく、友人の叔父さんが所有するコテージを借りてのんびりするというものだった。

 コテージは、岡山市街から車で1時間ほどの山奥にあった。一週間の滞在を予定していたので、食糧とお酒を山ほど買い込み、Tさんたちは車を走らせた。

 コテージはログハウス風の二階建てで、テニスコートやバーベキュー施設も付いている豪華なものだった。日中にはハイキングやテニスを楽しみ、夜にはバーベキューをしたり持ち運んだゲームなどをして遊んだ。

 酒を飲みながらの百物語モドキなども催された。そのなかで、所有者の甥がそういえばと思いだしたように云った。

 この山は、ある界隈では名の知れた場所なのだそうだ。理由を問うと、天狗が出るからだと答えた。彼も詳しいいわれは知らなかったが、とにかく昔から天狗の出る山として有名なのだそうだ。顔が赤くて鼻の長いアレかと訊くと、友人はそうだと笑った。

 特に何事もなく日は過ぎ、三日目の晩を迎えた。

 その夜もTさんたちはべろべろになるまでお酒を飲み、日付が変わる頃に這うようにして二階の寝室へ戻った。

 飲んでいる時から感じていたが、ひどく風の強い夜だった。雨は降っていないようだが、台風のなかにいるようで、窓ガラスはがたがたと鳴り、壁越しにも風の音や木の激しく揺れる音が聞こえていた。

 階段の小窓から外の様子を覗ってみたが、山の闇は深く、窓ガラスには自分の顔が映るだけだった。

 天気予報では特に何も云っていなかったが、山の天気は変わりやすいのだろうと思い、Tさんはベッドに倒れ込んでそのまま寝てしまった。

 翌朝、耐え難い尿意で目が覚めたTさんは、用を足してから一階に降りた。朝の7時で、まだ誰も起きてきてはいなかった。

 冷蔵庫から出した牛乳を飲みながら何気なく外を見たTさんは、ふと妙な思いに囚われた。

 あれだけ風が強かったはずなのに、朝陽が差す山の景色には1枚の木の葉も落ちていなかったのだ。

 夢だったのか。いやそんなはずもないがと首を捻りながらリビングに出たTさんは、テラスに出るガラスの引戸がひどく汚れていることに気が付いた。それこそ台風の後のように、土埃や木の葉の切れ端がガラスの一面にこびり付いていた。

 朝食の準備をしていると、他のメンバーも起き始めた。昨夜のことを尋ねると、みな外の暴風のことはきちんと覚えていた。やはり夢ではなかったようだ。

「おい、窓のアレ見たか」

 所有者の甥が、厭そうな顔でリビングから戻ってきた。せっかくのコテージが汚れたからだろう。後で拭けばいいじゃないかと云うと、そうじゃないと返ってきた。

 友人についてリビングに入る。

「アレだよアレ、なんか変じゃないか」

 遠くからガラス戸を見て、ようやく友人の云っている意味がわかった。渦を巻くようにして一面にこびりついた土埃や木の葉は、遠くから見るとある模様のように見えた。

 指紋だ。

 二面からなる引戸いっぱいに、巨大な指を横から押し当てたような跡が、ガラス戸にはくっきりと着いていた。

 すごい偶然だなと笑おうとしたが、まったく荒れていなかった外の景色と、みなも覚えている風の音、そしてこの山の噂を思い出してTさんは厭な気分になった。

 結局、その後も何となく盛り上がらず、Tさんたちはその日のうちに引き上げたのだという。