京のかたな

2018年10月03日

 生きとし生けるこの世の男性は、大きく2つに分けることができます。子どものころ刀に惹かれたか、それとも銃に惹かれたか、です。

 私はと云うと、まァあんな作品書いているんだから当たり前ですが、根っからの刀派でした。中学時代はライトセーバーの代わりに折り畳み傘を腰からぶら下げ(意味が分からない方は「ジェダイ 格好」でお調べ下さい)、高校に入ってからも(水泳部なのに)ベランダで木刀の素振りを続けていました。蒸し暑い夜も、凍えるような夜も、彫刻刀で手ずから「阿呆一文字」と銘を彫った木刀を握り締め、毎晩必ず100回、いつかくる(と信じていた)戦いに備えてせっせと鍛錬を積んでいた訳です。そして、いつの日か夜道で暴漢に襲われているうら若き乙女を見掛けた日には、手元の雨傘で輩を撃退し、

某嬢「危ないところをありがとうございました」

ゐぶき「いえ、当然のことをしたまでで」(ここで立ち去ろうとする)

某嬢「ああ、せめてお名前だけでも」(思わず学生服の袖を掴む)

ゐぶき「いやいや名乗るほどの者でもございません。では失敬」(その手を優しく抑え、そのまま夜闇に消える)

などという展開をそれとはなしに期待していたそんな微笑ましい思い出だってある訳ですがおれはいったい何の話をしてるんだ。


 閑話休題。

 という訳で、刀を愛する伊吹亜門は「特別展 京のかたな―匠のわざと雅のこころ―」に行ってきました。

 これまでも岡崎のみやこめっせで日本刀の出張販売所が開かれる時にはたびたび覗いたりしていたのですが、流石に国宝・重文級の刀にはお目に掛かったこともなく、しかもこの展示会、《刀剣乱舞―ONLINE―》とコラボしているっていうんですから、行かないテはないですよね。

 人混みに流されながら170に近い日本刀を見てきた訳ですが、ガラス越しとはいえ、鼻先数センチに数多の名刀を見て心に浮かんだのは矢張り感嘆の念でした。本当に美しい。真に研ぎ澄まされた鉄というのは、青く光って見えるんですね。

 人の心を惑わせた妖刀の話は幾つかありますが、国宝級の刀を目の前にすると、成る程、それも分からなくはありません。あの煌めきを前にしたのなら、誰だって「どれぐらい斬れるんだろう」という純粋な(純粋な?)疑問は抱くでしょうさ。まあ若しくは、ああも冴え冴えとして美しい白刃は血脂でどろどろに穢してやらないと気がすまねえという邪な思いか、ですね。白い脂に塗れ、切っ先から血の雫を滴らせてぬらぬらと光る名刀は、それはそれで悽愴な美しさがあるのでしょうが。

 さてさて、京都国立博物館、平成知新館での息詰まるような名刀鑑賞後は、そのお隣、別館の明治古都館中央ホールで京都出張中の刀剣男士たちに会ってきました。

 係の方に確認したんですが、こちらは写真撮影も、それをSNSにあげることもオーケーだそうです。審神者の皆さん、これは行くっきゃないですよ。刀剣男士たちの晴れ姿を是非その目でお確かめ下さい。

 何か締めの言葉をと考えましたが、なかなかいい総括が浮かばなかったので、ここは刀に関する小咄でもひとつ。

 何でも、研ぎ澄まされた真剣は指を近付けるだけでひりひりするんだそうです。こそばゆいような痛いような、何ともいえない"波"みたいなものが指先に感じられて、感覚として一番近いのは電気風呂のソレだとか。

 刃に近付くほどその"ひりひり"は強くなって、少しでも触れたのなら次の瞬間には指が裂けている。皮膚だけでなく、弾けるようにぷつりと、真っ二つに肉が裂けてしまう。なので、皆さんも刀を手に取って見るときはお気を付け下さい。

 ああ、あと最後にもう一つだけ。刀と云えば、伊吹亜門の処女短編集『刀と傘 -明治京洛推理帖- 』が11月30日に発売予定とアナウンスされたようですね。目下、血眼で作業中です。ご期待下さい。