城崎にて

2019年02月23日

 我らが同志社ミステリ研究会(DMS)は、夏と春に2泊3日の合宿を行っています。

 夏合宿は琵琶湖の畔、北小松に建つ同志社の保養施設「同志社びわこリトリートセンター」が、春合宿は城崎温泉の旅館「つたや旅館 晴嵐亭」が宿泊先です。

 夏合宿ではその年の秋に出す会誌『カメレオン』の編集会議を行ったりもするのですが、春合宿の方は本当にただの慰安旅行となっています。温泉街の外湯を巡り、湯上がりに甘いジェラートを食べ、宿に戻ったらかに鍋やら但馬牛のしゃぶしゃぶやらを鱈腹つめ込み、内湯で汗を流してすっきりしたのちは、宴会場代わりの大座敷に各自お酒を持ち寄って人狼ゲームやポーカー、若しくは誰かが書いてきた犯人あてを肴に夜通しミステリ談義に興じる――という訳です。

 お世話になっている晴嵐亭は「つたや旅館」さんの別館で、温泉街からは9号線に沿って北へ、城崎中学や国際アートセンターも通り過ぎた静かな山間に建つ温泉宿です。DMSは春合宿でずっとお世話になっていて、2泊3日の期間は貸し切りで使わせて貰っています。お付き合いもかれこれ10年近くになるでしょうか。

 温泉を満喫するもよし、一日中宿に籠って原稿用紙に向かうもよし、静かな縁側で囲碁を打つもよし。新年度に向けて何かと忙しいなか、2泊3日、浮世を離れたつかの間の休息がDMSの春合宿なのです。

 興味を持たれた学生さんは、今年も4月はじめのオリエンテーション期間に今出川・京田辺両キャンパスで開かれる(筈の)サークル説明会にお越しください。DMSの先輩会員たちが懇切丁寧に教えてくれることでしょう。

 以上、今年の4月から京都でのキャンパスライフが始まるミステリっ子に向けた、同志社ミステリ研究会の紹介でした――よしOBの務めは果たしたぞ。

 去る2月16日、DMSのOB・OG数名に声をかけ、件の晴嵐亭で1泊2日の追憶春合宿を行いました。

 矢張り一部のDMS OB・OGにとって城崎温泉が心の故郷であることに間違いはなく、また晴嵐亭行きてェなと話し合っているうちにいつの間にか計画が動き始めていたという訳です。

 しかし、云ってもみな既に社会人。家庭や仕事があるんだから参加できるのもまァ限られてくるよなーと思いはしたものの、豈図らんや、蓋を開ければ遠く東京からも連中は馳せ参じ、結果、当日JR城崎温泉駅前に集まったのは男女合わせて総勢28名の同志社ミス研OB・OG。邪魔にならぬよう隅に寄ってはいましたが、傍目にも奇異な集団と映ったことでしょう。いや、でも良かった。

 雪見風呂・雪見酒を期待して2月の中旬でセッティングしたのですが、当日は生憎と天の底が抜けたような土砂降りの雨でした。冷たく濡れる駅前のコウノトリ像を眺めながら、或る先輩が白い息と共にこう呟いたのを覚えています。

「晴嵐亭に行く道が山崩れに遭ったら、ほんまに嵐の山荘やな」

 人里離れた温泉宿。久々に集うミス研会員。季節はずれの大雨。何も起こらないはずがなく――いやまァ無事平穏に終わったんですがね。

 私は買い出し等に駆り出されて結局外湯巡りは出来なかったのですが、雨に煙る露天風呂も乙だったそうです。雨の城崎もナカナカ良い。行けど切ない石だたみ、城崎は今日も雨だった。


 閑話休題。

「つたや旅館」の歴史は古く、禁門の変で京を追われた桂小五郎が一時期身を隠していた場所こそ、但馬国城崎郡湯島村の温泉宿「松本屋」――のちの「つたや旅館」であったりします。そこらへんの事情は司馬遼太郎『幕末』の「逃げの小五郎」に詳しく書いてありますので、興味がおありでしたらご確認ください。ちなみに、そんな司馬遼太郎が「つたや旅館」逗留中に書き上げたのが、あの『竜馬がゆく』の「希望」の章だったとか。

 そのため「つたや旅館」の本館ロビーには幕末の資料(所謂「どんどん焼け」を報せる瓦版とか)が多く展示されており、晴嵐亭の廊下にも幕末・明治期を取り上げた古い雑誌や小説などがずらりと並んでいました。

 宴会でしたたかに酔い、千鳥足で自分の部屋に戻る時、あれは確か午前2時を少し過ぎた頃だったでしょうか、私はフトその本棚の前で立ち止まりました。そして、仄かな照明で照らされる背表紙をぼんやりと眺めながら、以前、最後に晴嵐亭を訪れた時のことを思い出していました。

 それは卒業を控えた4回生の2月中旬、DMS会員として最後の春合宿のこと。4月から始まるであろう慌ただしい新生活からは極力目を背け、後輩たちとミステリ馬鹿話に興じながら、それでも、こんなこと出来るのも最後なのかなと重い哀しみを心の何処かで感じていた春合宿でした。

 私はその合宿期間中、あまり外出はせずに専らそれら古雑誌ばかり読んでいました。理由は簡単、山田風太郎の明治モノをきっかけに幕末維新期にどっぷりとハマっていたからです。実は前年に見様見真似で自分なりの明治ミステリ短編を書き上げて某賞に投稿をしていたのですが、どうもその出来が気に入らず、もっとしっかり調べてリベンジしようと考えていました。そんな私からしたら、晴嵐亭の本棚に並ぶのは宝のような資料の山だったのです。

「社会人になってもミステリが書けたらな」

 設えた安楽椅子に揺られながら、私はそんなことを思っていました。まァ何とかなるだろうサという呑気な思いと、いつまでも夢ばかりみていられないという諦めがごちゃまぜになった妙な気持でした。

 ですから真逆それから4ヶ月後、前述の投稿作「監獄舎の殺人」でデビューすることになるとは夢にも思っていなかったのです。


 人生、何があるか分からないものです。だからこそ辛くて、だからこそ面白い。ありがたいことに、仕事をしながらだって今もこうしてミステリが書けていますし、間こそ開きましたがこうして再び皆で晴嵐亭に来ることも出来ました。

「ほんとに何があるかわからん人生だ」

 そんなことを呟きながら、さァ寝ようと再び歩き始めた時、浴衣の袖に入れていた携帯が急にぶるぶると震え出しました。こんな時間に誰だと見れば送り主は東京創元社の担当氏。題名には「第19回本格ミステリ大賞の候補に選出されました」とありました。

 先日公式発表がありましたが、拙作『刀と傘 明治京洛推理帖』が第19回本格ミステリ大賞の候補作に選ばれました。大変驚き、恐懼感激しているのが正直な気持ちです。浮かれず騒がず、これを励みに今後も「面白くて驚けてなおかつ心に刺さる本格ミステリ」をお届け出来るよう精進して参ります。