連合艦隊と水泳部

2020年05月26日

 連合艦隊司令長官、そして水泳部のマネージャー。

 この二つを見てすぐ共通点に気が付いた人は、あまりいないのではなかろうか。もしいるとすれば、それは恐らく水泳部のマネージャーを経験したことがあって、なおかつ阿川弘之の「海軍提督三部作」を面白く読んだ私のような人間に違いない。


 きっかけは、阿川弘之の『山本五十六』を読んでいる時のことだった。何気なく文字を追っていると、ひどく共感を覚える箇所にぶつかったのだ。少し長くなるが、引用してみよう。


 聯合艦隊の出港というのは、ひと仕事であった。

 八十杯からの大小艦艇を、聯合艦隊命令一つで整然とさばいて出して行かねばならない。聯合艦隊の航海参謀は、相当の切れ者でないとつとまらなかった。(略)

 そのころには長官は艦橋に上って来て、双眼鏡を手に、自分でも見ているが、航海科の伝令が一々各艦各戦隊の動きを大声で報告する。(略)

 航空参謀兼後任副官をつとめていた河本広中は、

「聯合艦隊の長官がいいなと思うのは、出港の時ですよ」

 と言っているが、一斉に動きを見せ始めたこの大艦隊が、ことごとく自分の部下だと思うことは、特別な感慨であったにちがいない。

阿川弘之『山本五十六』


 目に触れた途端、この文章は私の過去の体験に結びついて、ああよく分かるぞという思いを強く抱かせた。

 言うまでもないことだが、私は連合艦隊の司令長官をやったことはない。ある訳がない。

 では、どうしてそう感じたのか。

 答えは冒頭に書いた通りである。私の脳裏に浮かんだのは、水泳部時代にマネージャーをやった時の記憶だった。


 私は中高の6年間、水泳部に所属していた。専門はブレスト(平泳ぎ)だったのだが、体調不良や肩を故障した時などは、顧問の補佐として号令やタイムの管理などマネージャーの真似事をしていた。

 競泳はコンマ1秒で争うスポーツだ。部員たちも練習の後半になってくると熱が入ってきて、その熱気は上から指示を出しているマネージャーの私にも伝染した。練習メニューのラストを飾る「100m×10本」の時などは、私が出す「5秒前ッ」や「よーい、はいッ」という掛け声、またそれを受けた部員たちの応答も怒声に近いものになってくる。

 プールサイドのデジタルウォッチを確認しながら、私は5秒おきにホイッスルを吹き鳴らし、スタートの号令を出す。それを合図に8つあるコースの全てから部員たちが勢いよくスタートする。水飛沫を上げて出ていくのが軍艦か水泳部員かの違いはあれども、自分の一挙手がきっかけとなって一斉に動き出すのを見た時の得も言われぬ、それでいてどこかひやりとした感覚は、引用箇所にある"特別な感慨"と根が同じものではないだろうか。それ故に、私は連合艦隊司令長官と水泳部のマネージャーは似ていると思うのだ。

 水泳部時代の友人にこの奇妙な類似点について話したこともあるのだが、哀しい哉、誰からも同意を得ることは出来なかった。

 という訳で、この思いに共感してくれる筈の、日本のどこかにいるであろう海軍史を嗜む現役水泳部マネージャーの彼、乃至、彼女に向けて綴る、今月の酒樽奇談である。