江藤新平は煮られない
昨年の四月末、ゴールデンウィーク休暇を使って佐賀に旅行をしました。
目的は、佐賀県が誇る初代司法卿、江藤新平のお墓参りでした。前年に上梓した『刀と傘―明治京洛推理帖―』で江藤を探偵役として自著に登場させていたので、そのお礼も兼ねて一度は詣でねばと思っていたのです。
ある出版社の人に教えて貰ったのですが、佐賀の人は自県の歴史に対する関心がとても深いそうですね。とある歴史系の雑誌で佐賀について特集したところ、当の佐賀県での売上だけが群を抜いていたとか。
そんな県民の意識のせいか、お墓参りの途中に立ち寄った佐賀県立佐賀城本丸歴史館の展示も非常に充実したものでした。
館内は写真撮影可だったので、いずれ書くことになるかも知れない「明治京洛推理帖外典 ~江藤佐賀立志篇~」の資料集めのため、展示とその説明の殆どをカメラにおさめました。
そして2020年。竹本健治先生のご縁から、佐賀ミステリファンクラブよりお声掛けを頂きまして、『刀と傘』での読書会に参加することとなっていました。
しかし、皆さんご存知の通り件のコロナ禍です。読書会は延期となり、愉しみだった佐賀旅行もお預けとなってしまいました。
無聊を慰めるために、前回の佐賀旅行での写真を見返したりしていたのですが、そのなかで一点、改めて見るとおや?と思う物がありました。
江藤新平の四行書です。
説明書曰く、流々と書かれているのは「狡兎死して走狗烹らる」から始まる四行詩。「狡兎死して走狗烹らる」とは、素早い兎がいなくなれば優れた猟犬も不要になって煮て食べられてしまうように、どれだけ役に立っていても必要が無くなればお払い箱になるという、『史記』に由来する故事成語です。
どうして江藤はこんな言葉を選んだのか――私が気になったのはこの点でした。だって、揮毫を頼まれた時に敢えてそんな警句を選びますか?
歴史館の方に伺ったのですが、これがいつ頃書かれたものなのか、また江藤がどうしてこの言葉を選んだのかは遂に分かりませんでした。明治維新以降であることは確からしいのですが、果たしてそれが司法卿就任以前なのか、それとも後なのか、若しくは下野した後なのかは資料が残っていないそうなのです。ただ(佐賀城本丸歴史館 に展示されている物は複製なのですが)、江藤が書いた物であることは間違いなく、それ故に、近代日本の法制度確立に尽力したのち、その政府の手で討たれた彼の最期を考えると、運命の皮肉のようなものを感じずには要られません。
さて、以下に書き綴るのは、江藤新平を愛するいちミステリ作家の戯言です。史料的な裏付けも一切ない妄想ですので、そのつもりでお読み下さい。
江藤が「狡兎死して走狗烹らる」という、一種異様な警句を選んだのは何故なのか。
シチュエーションを考えた時にぱっと浮かぶのは、下野した江藤が自らの境遇を自嘲したというものでした。
しかし、何となくそれは違うような気がするのです。
そもそも、征韓論争に連座し参議を辞した江藤が佐賀に帰ったのは、故郷で沸騰する反政府勢力を慰撫するためでした。結局江藤はその熱気に当てられて反政府騒乱の頭目にまで担ぎ上げられてしまうのですが、あれだけ自ら恃むところの厚い江藤が、果たして自分を「用無しになった猟犬」と称するでしょうか?
完全な妄想ですが、「私は参議を辞して佐賀に帰るが、この江藤新平がいなくて政府が本当にやっていけると思うのかね? 戻って来てくれと頭を下げるなら今のうちだぞ?」ぐらい思っていそうじゃありませんか。だって、あの江藤新平ですよ?
そう考えていくと、江藤が「狡兎死して走狗烹らる」を選んだのは痛烈な皮肉のような気がするのです。
*
「江藤さん、何してるんですか」
「見れば分かるだろう。書だよ、書。揮毫を頼まれたのだ」
「いやァ書類に目を通しとらん江藤さんちゅうのもなかなか珍しかったもんで。何て書いたんです」
「そこからだと読めんか。狡兎死して走狗烹らる、意味は君でも知っているだろう」
「そりゃア一応はね。でも、変な言葉を選びましたね」
「何が変なものか。戊辰の戦から早三年、戦場では役に立ったかも知れんが、官吏としては一毫も役に立たん輩が太政官には多くいるだろう。そのくせ、藩閥の威を笠に着て偉そうにしている奴らが」
「またそんなこと云って。止めて下さいよ、注意されるのはおれなんですから」
「何が注意だ。西郷や板垣がそうじゃないか」
「止めなさいって」
「まあ聞き給え。私が初めこの警句に触れた時は、主君の蒙昧さを嗤ったのだ。兎を狩り尽くしたからと云って猟犬を始末したら、再び兎が出てきたらどうするのだとな。だが、戊辰の戦を経て王政復古の世を生きてみて分かったよ。猟犬などというのは幾らでも代わりが利くものだ。その者でなければなどということはね君、滅多にないのだ。過去の手柄に胡座をかく猟犬は、新たな猟犬を育てるためにも、さっさと煮殺してしまうに限る」
「……」
「なんだ黙って。云いたいことがあるなら云い給え」
「いや、まァ江藤さんらしい意見だとは思いますよ」
「奥歯に物が挟まったような云い方だな」
「気のせいですよ。ほんでも、それなら江藤さんも気をつけて下さいね。江藤新平は法制度の礎を築いたまでの男だッちゅうて煮殺されんように」
「莫迦を云うな。私が腕を振るうのはこれからだ。ほら鹿野君、ぼうっと立っていないでそっちを持ち給え。まだ墨が乾いていないから気をつけるんだぞ」
※今回の酒樽奇談を執筆するにあたり、佐賀県立佐賀城本丸歴史館
の吉野様および川野様に種々ご協力を頂きました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。