陸奥亜門列車

2023年12月31日

 12月中旬に会津若松を訪れる筈が、昼の仕事が中々忙しく流れてしまった。会津戦争についてはいつか書いてみたいと思っているものの、今回はその取材という訳でもなく、強いて云うならば雪の鶴ヶ城が見たかったのである。

 尾張名古屋の生まれなので、雪国には長らく憧れがあった。毎年雪害に悩まされている人からは冷笑されるかも知れないが、憧れの気持ちばかりはどうにもならない。だだっ広い雪中を闊歩してみたい欲求は日に日に募り、28日に昼の仕事を納めてから遂には青森まで来てしまった。

 そういう次第だから、今回の旅行にも熟すべき課題がある訳ではない。かの有名な「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」というやつである。

 元々旅行が好きなのだ。事前にしっかりと計画を決めて忠実に実行するのではなく、その時々で足の赴くまま徘徊する方が性に合っている。尤も、現地の博物館や美術館、民俗資料館は出来る限り訪れるようにしている。小説のタネという物は、何処に転がっているかも分からない。

 氷雨の青森駅に降り立ったのは昨日だった。当然ながら粗方の公共施設は休みに入っており、仕方なく足を延ばした弘前の街をぐるぐると歩き廻っていた。太宰治まなびの家こと旧藤田家住宅や弘前偕行社跡も遥か遠方から眺めるだけだった。漸く辿り着いた弘前城とて、桜の隧道で有名な春先とは違い、冷え冷えとして知らん顔をしていた。

 思えば、仙台より北に来るのは三十二年の人生で初めてだった。さぞかし寒いだろうと厚着に厚着を重ねてきたのだが、生憎の雨で極寒という程でもなく、しゃびしゃびの泥雪ばかりだった。登山靴を履いてきたので沁みはしなかったものの足先はすっかり凍えてしまった。厚着のせいで汗を沢山かいたものだから臭ってべたべたして不快なことこの上ない。

 奥羽本線で青森まで戻り、早速宿でひと風呂浴びた。温かいお湯に強張った顔筋や神経もすっかりほぐされ、そのまま閉じ籠もって過ごすことも考えたが、折角陸奥まで来たのにそれでは甲斐がない。自ら励まして再び日の落ちた市街に繰り出した。

 駅前の百貨店で土産を幾つか買い、晩飯は裏路地にある鄙びた寿司屋に入った。矢鱈と灯りの暗い店で、ぼそぼそと流れているレコード大賞の授賞式を見ながら、無口な板前が握った寿司を十五貫ばかり食べた。赤貝と雲丹が殊更美味かった。青森の酒ということで薦められたのは、「田酒」と「杜來」、それに長芋焼酎の「六趣」だった。どれも大層旨く、寿司を平らげた後も硬い身欠き鰊を肴に盃を重ねた。客は他にも数組いたが皆さっさと帰ってしまい、最後は私独りになった。

 店を出たのは日付が変わる少し前だった。〆の茶漬けを食いながら件の板前から港町の怪談を二、三聞いたような気もするがよく覚えていない。 いつの間にか雨も止んでいた。

 宿は森として人気が無かった。風呂場は開いていた。大分と酔っていたので湯船には入らず、身体と髪だけ洗って部屋に戻った。

 ぎりぎりまで寝て居る積もりだったのだが、喉が渇いて暗い裡に目が覚めた。未だ六時前だった。がぶがぶと水を飲み、微頭痛を抱えたまま宿の食堂で朝食を摂った。

 饗されたのは見たこともない丼飯だった。あつあつの白米に烏賊の塩辛、山菜煮、とろろ、それにねぶた漬けという数の子に昆布、するめ、大根、きゅうりを醤油に漬けた物を載せて、味の濃い出汁をたっぷりかけた菜料だ。のっけ丼というらしい。大味だが、酔いが残った身にはそれと温泉卵ぐらいが丁度良い。搾りたてだと謳う林檎ジュースも冷たくて旨かった。

 何か見つかればもう一泊しようかとも思っていた。初めての土地で年を越すというのも乙である。しかし特に何かあった訳でもないので帰ることにした。飛行機だと早いが、弘前からの車中で雫石事故の記事を読んだばかりなので止めておいた。東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いでのんびり、という程でもないけれど、原稿をしつつ帰ろうと思う。

 前置きが長くなりましたが、そういう訳で青森からの帰路にお送りする今年最後の酒樽奇談になります。



 2023年を振り返ると、作家人生初となるお仕事が多かったような気がします。読者参加型の犯人当て小説や隔週での短書評、また10月には代官山蔦屋書店さんでの大サイン会にも参加しました。

  • 3月~12月 短書評「ミステリーツアー」(講談社・Mephisto Readers Club)
  • 4月 『刀と傘』(創元推理文庫)
  • 6月 「帝国妖人伝」第四話「春帆飯店事件」(小学館・『STORY BOX』2023年7月号掲載)
  • 7月 「波戸崎大尉の誉れ」(講談社・『メフィスト 2023 SUMMER Vol.8』)
  • 8月 『焔と雪 京都探偵物語』(早川書房)
  • 9月 「海軍不正講義」(KADOKAWA・『小説野性時代vol.239 』)
  • 10月 ミステリカーニバル(大サイン会 於代官山蔦屋書店) 


 さて、2024年です。

 現時点で確定しているお仕事は、まず1月18日刊行の『推理の時間です』(講談社)に、「波戸崎大尉の誉れ」が収録されています。こちらは講談社の会員制読書クラブ"Mephisto Readers Club"で行われた読者参加型謎解き企画《推理の時間です》用に書き下ろした満洲が舞台のハウダニットの短編となっています(詳細はこちらをご確認ください)。「波戸崎~」に寄せて頂いた法月倫太郎・北山猛邦両先生の推理や、北山先生の書き下ろしハウダニット短編「竜殺しの勲章」に寄せた私の推理も掲載されています。

 二つ目は、『紙魚の手帖vol.15』(2024年2月)に、江藤さんと師光の東亰での活躍を描いた《刀と傘》シリーズの新作短編「仇討禁止令」が掲載されます。大変長らくお待たせしました。

 そして三つ目は、『STORY BOX』(小学館)掲載の《帝国妖人伝》が、書き下ろしを含めて2月下旬に一冊の本となる予定です。

 その他、既刊の文庫化や他シリーズの新作短編も頑張っていきたいと思っています。懸念があるとすれば今年入社9年目となる昼の仕事が段々忙しくなっているということですが、まあ何とかなるでしょう。


 それでは皆様よい年をお迎えください。来年も引き続き伊吹亜門を宜しくお願いします。